Nationaldagen スウェーデンの建国記念日
6月6日は、スウェーデンの建国記念日でした。建国記念日の由来は、ほかの多くのブログでも紹介されていますが、1523年6月6日にスウェーデンがカルマル同盟から離脱して独立し、グスタフ・ヴァーサを国王に選んだことによります。
カルマル同盟は、それより126年前の1397年に、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3王国間で締結された同盟です。当時はドイツのハンザ同盟の最盛期で、北海・バルト海の商業を独占していました。デンマークは、このハンザ同盟に対抗するために、ノルウェーとスウェーデンを巻き込んでカルマル同盟を結成しました。ただ同盟とは言っても、実際はデンマークが他の二カ国を支配下におくものでした。このため、スウェーデンではデンマークに対する激しい抵抗運動が続き、それに対してデンマークも厳しい弾圧を続けました。
1520年にはデンマーク王クリスチャン2世がスウェーデンに侵攻して勝利し、自分をスウェーデン王と認めさせました。そして、100名を超えるスウェーデン側の貴族、僧侶、有力者たちを晩餐会に招くと称して全員を捕え、翌日ストックホルム市のガムラスタン旧市街にある広場で処刑してしまいました。広場はまさに血の海と化し、この事件はストックホルムの血浴と呼ばれました。デンマークは、これによりスウェーデンの独立運動を終結させようとしたのですが、逆にスウェーデンの独立の気運を煽る結果となり、スウェーデン民衆が一斉に蜂起して、ついに1523年に独立を勝ち取りました。
こんなにドラマティックな歴史的背景を持つ6月6日ですが、正式に建国記念日に制定されたのは1983年、国民の休日になったのは2005年からで、それほど昔のことではありません。スウェーデン国民の間では、建国記念日って要るのか? 後からこじつけた日付けだろ? なぜ祝日にしなくちゃならないんだ?といった議論があったそうです。結局、この日を祝日にするために他の祝日をなくしたとか。なんだか、パブでビール片手に侃々諤々の議論をしているスウェーデン人たちの姿が目に浮かぶようで、何事にも合理性を求めるスウェーデン人らしい話だなあと思います。いまや世界に先駆けて一日の労働時間を6時間に減らそうと言っている国が、なにも他の休日をなくすことはなかったのにと、私なんかは思ってしまいます。
さて、人口3万の我がエスロブ市でも、街の中心にある公園で建国記念日のお祝いがありました。高校生のブラスバンドの行進や、ステージでのゲストの歌や演奏などに加えて、伝統楽器ニッケルハルパの演奏と、それに合わせて民族ダンスが披露されました。うちの奥さんは、このニッケルハルパ演奏グループに5年前から参加しています。スウェーデン国旗に導かれて民族ダンスグループが入場すると、ステージ上でニッケルハルパの演奏が始まりました。
この日は、ニッケルハルパとリコーダー、ウッドベースという構成でした。指揮者なんていなくて、リーダー格の一人が何か曲を弾き始めると他のメンバーもそれについて弾き始めるという、ゆるーい出だしがいかにも民衆の音楽らしくていい感じです。ダンスは、一見するとゆっくりしていてだれでも踊れそうですが、グループとしての振り付けは結構難しそうで、メンバーが若干高齢ということもあるのか、時々次のステップを忘れてしまうこともあるようで、「おい、次はお前さんが前に出るんじゃろが」「おっと、いけね」という感じで、このゆるさがまたいい感じです。観客も地元の人達ばかりで、知り合いの演奏やダンスに温かい拍手を送っていました。
当日は、ニッケルハルパ演奏グループも民族ダンスグループも、みんな民族衣装を着て参加しました。スウェーデンには地方、民族ごとに一説には800種類以上とも言われる民族衣装があります。男性は白いシャツにベスト、ズボン、帽子。女性は白いブラウスにドレス、エプロン、スカーフ。ベストやズボン、ドレスやエプロンの生地の色や仕立て、細部にまで施された刺繍に各地域の特色が出ます。昔はどの衣装を着ているかで住んでいる地域や社会的地位までわかったそうですが、現在は様々なデザインの中から好きなものを選んで着ることができます。
機械縫製の安価なものもありますが、正式な民族衣装はすべて手縫いで作られており、新品は一式30万~50万円くらいはするそうです。しかし、最近は伝統的な仕立てや刺繍などの手作業を受け継ぐ人が少なくなっており、新しいものはめったに入手できないため、多くの民族衣装は親から子へ、孫へと引き継がれたものが使われています。普段はあまり見かけることのない民族衣装ですが、日本の着物と同様に正装として認められており、結婚式などのセレモニーや建国記念日、夏至祭などで、目にする機会があります。うちの奥さんも、建国記念日や夏至祭でニッケルハルパを演奏する際には、演奏グループの仲間から貴重な一着をお借りして着ています。
カルマル同盟は、それより126年前の1397年に、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3王国間で締結された同盟です。当時はドイツのハンザ同盟の最盛期で、北海・バルト海の商業を独占していました。デンマークは、このハンザ同盟に対抗するために、ノルウェーとスウェーデンを巻き込んでカルマル同盟を結成しました。ただ同盟とは言っても、実際はデンマークが他の二カ国を支配下におくものでした。このため、スウェーデンではデンマークに対する激しい抵抗運動が続き、それに対してデンマークも厳しい弾圧を続けました。
1520年にはデンマーク王クリスチャン2世がスウェーデンに侵攻して勝利し、自分をスウェーデン王と認めさせました。そして、100名を超えるスウェーデン側の貴族、僧侶、有力者たちを晩餐会に招くと称して全員を捕え、翌日ストックホルム市のガムラスタン旧市街にある広場で処刑してしまいました。広場はまさに血の海と化し、この事件はストックホルムの血浴と呼ばれました。デンマークは、これによりスウェーデンの独立運動を終結させようとしたのですが、逆にスウェーデンの独立の気運を煽る結果となり、スウェーデン民衆が一斉に蜂起して、ついに1523年に独立を勝ち取りました。
こんなにドラマティックな歴史的背景を持つ6月6日ですが、正式に建国記念日に制定されたのは1983年、国民の休日になったのは2005年からで、それほど昔のことではありません。スウェーデン国民の間では、建国記念日って要るのか? 後からこじつけた日付けだろ? なぜ祝日にしなくちゃならないんだ?といった議論があったそうです。結局、この日を祝日にするために他の祝日をなくしたとか。なんだか、パブでビール片手に侃々諤々の議論をしているスウェーデン人たちの姿が目に浮かぶようで、何事にも合理性を求めるスウェーデン人らしい話だなあと思います。いまや世界に先駆けて一日の労働時間を6時間に減らそうと言っている国が、なにも他の休日をなくすことはなかったのにと、私なんかは思ってしまいます。
さて、人口3万の我がエスロブ市でも、街の中心にある公園で建国記念日のお祝いがありました。高校生のブラスバンドの行進や、ステージでのゲストの歌や演奏などに加えて、伝統楽器ニッケルハルパの演奏と、それに合わせて民族ダンスが披露されました。うちの奥さんは、このニッケルハルパ演奏グループに5年前から参加しています。スウェーデン国旗に導かれて民族ダンスグループが入場すると、ステージ上でニッケルハルパの演奏が始まりました。
この日は、ニッケルハルパとリコーダー、ウッドベースという構成でした。指揮者なんていなくて、リーダー格の一人が何か曲を弾き始めると他のメンバーもそれについて弾き始めるという、ゆるーい出だしがいかにも民衆の音楽らしくていい感じです。ダンスは、一見するとゆっくりしていてだれでも踊れそうですが、グループとしての振り付けは結構難しそうで、メンバーが若干高齢ということもあるのか、時々次のステップを忘れてしまうこともあるようで、「おい、次はお前さんが前に出るんじゃろが」「おっと、いけね」という感じで、このゆるさがまたいい感じです。観客も地元の人達ばかりで、知り合いの演奏やダンスに温かい拍手を送っていました。
機械縫製の安価なものもありますが、正式な民族衣装はすべて手縫いで作られており、新品は一式30万~50万円くらいはするそうです。しかし、最近は伝統的な仕立てや刺繍などの手作業を受け継ぐ人が少なくなっており、新しいものはめったに入手できないため、多くの民族衣装は親から子へ、孫へと引き継がれたものが使われています。普段はあまり見かけることのない民族衣装ですが、日本の着物と同様に正装として認められており、結婚式などのセレモニーや建国記念日、夏至祭などで、目にする機会があります。うちの奥さんも、建国記念日や夏至祭でニッケルハルパを演奏する際には、演奏グループの仲間から貴重な一着をお借りして着ています。
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| Svenska Dagbladetより |

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